罵倒された挙句に痛烈な平手を食らい、穏やかならぬ気持ちで夜を明かしたカズマは、ようやく白々とした朝を迎えると、ダイニングへ飛び込むなり周子の名を呼んだ。
その声に表情を険しくしたのはギャランである。
「ほおーん? いつもならまず、おれの姿を見るや、おはようございますギャラン様、だろ? 今朝はよほどあの女が気がかりと見えるな」
「おはようございます、ギャラン様、今朝はお早いようで」
棘のあるギャランの言葉にカズマは恐縮して、衣ずまいを正すと一礼した。
ギャランはといえば、ダイニングテーブルの上に足をどっかとのせてだらしなく椅子にのけぞり、ゆらゆらと揺らしている。朝から不機嫌丸出しの様子である。
カズマは、侍女に出された紅茶を一口すすって。
ギャランの不機嫌な様子を見、こちらのお方もひょっとすると寝ていないのかもしれない、と思った。
「どうなさいました、機嫌悪いですね? 朝から」
「どうしたもこうしたも無ぇ、あれが奴隷だと? おれは要らねぇ」
軽く指を広げた己の利き手をぼんやり見つめながらギャランが答える。
それが周子のことだとすぐに察したカズマは、控えている侍女に顔を向けた。
「馬を玄関先へ回すように。今すぐ」
「だから勝手に処分すんな、って!」
「要らないのでしょう? であれば私、さっそく彼女を追い出しますが。うはうはで。晴れて厄介払いが出来ます」
ギャランが面白くなさそうに、ぐう、と唸って首を横に振った。
「おはよ。朝からなに? 私を追い出す相談ね?」
周子は笑って、ぐっ! と親指を立てた。こちらは朝から上機嫌である。
どうやら外を走ってきたらしく、額に汗をかいている。上気した白い頬と乱れた黒髪は、なかなかに可憐な姿だった。
「ここの庭、これまたずいぶんと広いのね? 驚いたわ」
「我がグランツ家の財力の片鱗をご覧にいただけたのなら話は早いですね。馬を引け!」
「カズマ!」
ギャランが不機嫌丸出しの声で制止した。
周子の背後から、遅れて入ってきた仏頂面の侍従長がぬっと顔を出した。こちらも走ってきたのか、だが周子よりもはるかに疲労の色濃く、しとどに汗をかいている。
「……脱走ですよ」
スキンヘッドの侍従長が、いつもの仏頂面をさらに不機嫌そうに顰め、低い声でうめいた。
軽く肩を竦める周子。
「このおっさん、えらく体力あるのよね、逃げても逃げてもしつこくって」
「脱走なぞ二度と試みてくれるな」
侍従長が周子を睨んだ。朝から走らされるこちらの身にもなってくれ、と言わんばかりである。
「エンギワルー、よくやった」
ギャランが労をねぎらった。
ギャランの言葉に、カズマはギョッとして。
短い言葉ではあるが、ギャランが他人をねぎらったのは初めて見た。
周子もまた、汗を拭いかけたタオルを取り落とした。
おそるおそるといった感じで振り返る。こちらはカズマとは別のところで、ギョッとしたらしい。
「え、エンギワルー? すごい名前ね、やっぱお坊さん? いや、坊さんじゃ余計に縁起悪くて商売にならないか」
「……商売になるならないという表現はそもそも僧侶には不適切ですが」
そう断って、四十数年生きてきた中でもう幾度となく繰り返されたか知れぬ、己の名をめぐる問いの答えを、侍従長はまた繰り返す。
「文字通り、縁起が悪い名でございましょう、これを冠することで負の威光を借り、私の身を守ろうと。私に手を出せば、死の制裁が待っている、と、まあ、忌み名というやつですな」
無論自分は僧侶ではない、とエンギワルーは低い声で補足した。
聞けば、エンギワルーの血筋は、かなり名のある武人の家系であり、戦場で死ぬ者の方が圧倒的に多い家系、ゆえに、その無事を願っての忌み詞的な名をつけるのが一族の慣わしなのだという。
「ふえ、すごい名前ね。でもそのスキンヘッドも見慣れれば、渋くて素敵かもね?」
「渋くて素敵だと?お前、男を見る眼がねぇな!おれの方が余程いい男だろうが!」
「そこのエロ金髪、視界に入ンな」
「おれの金髪はこのハゲより劣るってぇのか!」
エンギワルーが無言でギャランを見た。
ハゲですと? とでも問い正したそうな無言の圧力に、ギャランはさすがにまずいと思ったのか、んん、と軽く喉を鳴らして。
「ちなみに、息子はコンジョナシだな」
「さよう。骨のある男になるようにと、私がつけました」
―――それっておかしいよ!
周子は口を飛び出してしまいそうになる言葉を慌てて飲み込んだ。
―――自分の子供に根性無しってのは非道くないか? このぶんだと、この人の一族って、みんなこんなノリの名前だったりするのか。
だがエンギワルー当人は、息子の名に誇りを持っているらしく、良い名でしょう、とにわかに機嫌を良くした。どうやら息子の事を出されると、たちまち態度が軟化する気質の男のようである。
「王が、私の息子の名をご存知だとは、意外でしたが」
「うむ。一度見たことがあるのだ。髪が生えていたので、驚いたというか、印象深かった」
「……………………」
「なんつーか、父子で揃って反面教師みたいな名前を付けてそのうえ丸坊主だと思っていたからな」
エンギワルーはムッとしたように黙ってしまった。
そしてそのまま、厨房の奥へと姿を消してしまった。
「口から出す言葉はよく考えてからに、と昨夜申し上げたはずです、が……」
ギャランをたしなめかけたカズマだが、昨夜のビンタを思い出し、小言を止めた。
「……なんといいますか、調子が狂いますね」
「そりゃそうでしょ。二人っきりしかいないあんたらの世界にいきなり私が入ってきたんだから。大体、国王だってのに、こんなトコで? いい年こいた大人の男が、二人してツルんで、こんなお屋敷に引きこもってべったり暮らしてるなんておかしいじゃないの、一体なんの画策やら」
途端に真顔になったカズマの表情を見て、周子はあら、と浅く笑った。
小さく肩を竦めて。
「おっけ、聞かない。詮索する気もない。スルーして」
「……聡明なのはよいことです」
踏み込むべきではないと察した周子の機転の早さに、カズマは冷たくひとつ頷いた。
「朝食は?」
「頂くわ」
カズマが軽く手を上げると、侍女達が次々と朝食を運び込んできた。
「腕の傷は? まだ傷みますか?」
「ああもう治った」
「えっ?」
カズマの困惑を他所に、周子はもともと、健啖家なのだろう、ぱくぱくと平らげてゆく。
「タトゥーの呪はそういうもんなの」
もう痛くは無いわ、と周子はあっという間に最後の朝食の一口を口にほおりこんだ。
「説明が必要なら、しないわけでもないけれど? 朝食分の礼を兼ねて?」
カズマを正面から見据えて、周子は言った。
「召喚は、依頼主とベースとが結ぶ契約。ミアムの召喚の種一族は、その契約に基づいて召喚され、依頼内容を果すことになってる。だけど、私が現れたのは依頼主ロレンスの所ではなかった、こういう事故も稀にはあるから、私はいったんベースに戻る。で、ベースと依頼主は契約の破棄をするか、再契約をするか、そんなところね」
だけど、と周子は肩を竦めた。
「ギャランが私の名を呼び、タトゥーの契約をしたのも事実。隷属のタトゥーとも呼ばれるこの契約は、ミアムの契約の中でも最も上位で最も厳しい、最高位の契約。……主人の命令には絶対に従わねばならず、抗えば死ぬって契約よ。だから、ギャランが私にどんな無茶を言っても、私は、言う事を聞くしかない。あるいは、死ぬか。ギャランが前言を撤回し、ミアムに帰れ、と言ってくれさえすれば、私はすぐにでもミアムに帰るんだけど」
「おれは、言わない」
周子がテーブルの上のフォークを、ビュッ、とギャランの方に投げた。
青ざめたカズマは、すぐに周子の前の食器を下げさせたが。
「傷を見ても?」
カズマは、周子の左二の腕に巻かれた真っ白い包帯に手を掛けた。
「イヤよ。屈辱的だもの」
私は認めたわけじゃないから、と周子は短く拒否したが、
「―――ッ!」
ギャランが有無を言わさず手を伸ばし、周子の包帯を剥ぎ取った。
周子の、その左腕、その、傷。
あれほどひどい傷だったのに、荒々しく引き裂かれた肉は、何事も無かったかのように整っている。ただ、抉られたような真新しい皮膚がわずかに低く窪んで……ギャランの名がはっきりと、刻まれていた。あれほどひどい傷だったのに、どういうわけか、醜い傷痕ではない……むしろ、実に美しい刻まれようだった。
それは、文様にも似たなにか、不可侵で、意味ありげだった。挑発的だった。
「タトゥーの呪を解くわ。おたくだって、輝かしい未来ある国王様とやらにこんな小娘がくっついてるのは嫌でしょ」
ほう、とカズマは興味深げに微笑んだ。
「あなたを従える王を傷物と? 自分を貶めてまで交渉するつもりか?」
「そのくらい私には大事なの。召喚の種を手放すに相応しいだけの代償を与える、それがタトゥーの呪を解く唯一の方法と言われているわ。何でも願いは叶えるわ、命がけで、どんな無茶な願いでも。だからタトゥーを解いて自由にして欲しいのよ」
「それは無理な話だな、召喚契約だろうが、タトゥーだろうが、最初からおれには望みは無いと言ってるだろ」
そう口を挟んだギャランだったが。
「……あ、泣かした」
カズマの指摘にギャランはひどく狼狽えた。
「た、タトゥーがあろうがなかろうが、おれはお前に悪いようにはしない」
「嫌なのよ」
い、嫌ってそんな……とギャランは途方に暮れた表情をした。
「ととと、とにかく、お前はおれのものだ。おれが見つけたんだ、タトゥーの代償にその身の安全も衣食住も、お前の望むことすべて叶えてやろう、おれの名にかけて。おれはお前に非道いことはしない、嫌がることもしない、だからお前はおれのもの……」
「嫌だって、言ってるでしょう」
周子はギャランを見た。
顔を上げた拍子に、ボロボロと涙が零れ落ちてくる。
―――お前の望むことすべて、叶えてやろう……タトゥーを刻まれたのだ、呪主の言うことなら何でも聞く奴隷たる立場の、これが、自分が言われるべき言葉か? 呪主の望みを叶えるために命を賭けねばならぬのは、真の名を知られてしまった自分の方である筈だ。
「私はロレンスの所に行かなきゃいけないし」
「お前言ったろ、召喚主よりタトゥーの呪主の方が上位だって。今更ロレンスなぞ……」
「私、ロレンスと婚約したんだった」
カズマが軽く紅茶を噴き、ギャランの落としたスプーンが床上で甲高い金属音を立てた。
「五千万ゴールドで」
「五千万ゴールド!?」
ギャランは目を剥いて、ばん、と勢い良くテーブルに手を突き立ち上がって。
「おまおまおまおま、おまえ、いいいくらなんでもそりゃあんまりな記憶の取り違え様だぞ? 婚約? 契約じゃないのか? 金が絡んでるならそりゃ召喚の契約だろう?」
「婚約よ」
なにもそんなに驚かなくても、と、周子は冷たくギャランの動揺を流した。
「石を、欲しいって……五千万ゴールドで買うとかそんな話を聞いた。ゆうべ寝て思い出したの……でも、どうも記憶が欠落してるのか、召喚前の詳しいことが思い出せないんだけど、……だけど、どのみち、石を渡すなら、私も一緒だから」
「石?」
「魔石。ドランクドラゴンの盟約石よ」
そう言って、周子はテーブルの上に黒い指輪を置いた。
「呪われた指輪よ」
呪われた? とギャランは眉を顰めた。
黒い石をくり抜いて作られたリング部分には、文字にも似た細かい文様のような装飾がびっしりと施されている。
手の込んだ、珍しい指輪。いわゆる、所有主を選ぶ指輪というものだろう、まれに大金を投じてでも手に入れたいと申し出る人間がいそうな、独特の気配を纏った奇妙な指輪に見えた。
「魔力を吸う呪いの指輪。私は父さんに付けられた、魔力の制御用にね」
強力すぎる娘の能力を、父修三が封じたのは、ミアムでは有名な話だ。
その指輪の所為で急に魔力が使えなくなったことは一度や二度どころではないし、危ない目に遭ったことだってある。そして、完全には封じきれずほとんど博打とも言える確率で強烈に顕現する絶大な魔力―――却って物騒な存在になった周子の絶大な 魔力の行使は、いわば伝説であり、周子を召喚することに国外の諸侯をより一層躍起とさせた、それこそ莫大な契約金を貢がせて。
むしろ奇妙な価値を高めたようにすら思える、そんな修三の意図が周子には全く分からない。
黒い指輪を摘み上げ、窓際に歩み寄り日に翳すギャランのしぐさは子供じみている。
「父さんが嵌めてくれたこの指輪が、気付いたらスカートのポケットに入っていたのよ。思い出せないんだけど、どうしてかしらね」
周子は左薬指に残る白い指輪の痕に目を落として。
光るな、とギャランは呟いた。
そのリングは不思議な光を放った。黒い石の内部で、金の粒が、まるで星のように瞬いている。思わず指に嵌めてみたくなるような、底知れぬ耽美な輝きが石の奥に渦巻いているようにも見えた。
「普通の人なら、持っていても何とも無い。私としては、できればこのまま手放したい位」
指輪をためすつがめつ日に翳しながら、
「なぁ周子、ロレンスが確かにお前を召喚したというのなら」
ええ、と頷く周子に、
「じゃあ、おれがその婚約者ってことだろう?」
ギョッとしたようにカズマがギャランを見た。
「王、それは論理が飛躍してます」
いいやおれがそれだ、とギャランはカズマを拒んで鼻息を荒くした。
「事実、周子おれの下に飛んできた、それで十分だ、何よりの証拠だ。紛れもなく、おれはお前の婚約者だ、よし決まりだ、これでめでたくお前はおれのものだ」
おれはまじでお前に悪さしない、と続いたその言葉の拙さに周子はまたも脱力した。
「あいにく」
首を横に振って。
「私、ロレンスには一度、会った記憶がある、と思うの。……黒髪の……背が高くて、悪魔みたいにすごく綺麗な人だった。父さんみたいに理想的な外見だった、刻むんならあの男の名がいい、って、私、思ったもの……」
「また黒髪かっ!」
ギャランはひく、と頬をひくつかせた。
カズマが間に入って冷静に話を区切った。
「まあ、とにかく、周子はロレンスに会ったことがあり、ロレンスが婚約者であるということで、通常の召喚契約とはずいぶん事情が違うということは分かりましたよ。それがどういう事情かはわかりませんが、まあこの場合一番あり得る可能性としては、召喚契約ではなく、嫁に出した、ってところでしょうかね?」
うん、と周子が頷く。
「今ごろロレンスが私を探してると思う」
「……一度会っているなら、お前を探したりはしないだろう」
「どういう意味よ」
「こんな乱暴な女、誰も欲しがるものか、おれ以外」
おれ以外、とくっついてきたその言葉に、カズマはなんとも嫌そうな顰め面をした。
「私、ロレンスの名を刻むつもりだったのよ、だからギャランのタトゥーを解く、事故だもの」
取り付く島も無い。ギャランは口惜しそうに周子を睨んだ。
「カズマ」
「は?」
「おれの髪は黒く染められるか」
「王、その話は既に論点がずれてます」
「だめよギャラン、頭だけ黒くたって。どうせあんたのそのど金髪、その髪や眉や睫だけじゃないでしょうに。 私、毛という毛は全部黒くなくちゃ嫌、もちろん、あっちの毛もね」
周子の言い様に、カズマがこほん、と小さく咳払いをした。
「あっちの毛、ってなんだよ、じゃあ、ロレンスとは寝たのかよ!」
おれとのメイクラブは断りやがったったくせに! と詰った言葉に、カズマは此の世の終わりを間近に見た、とでも言いたげな表情になった。
「王、まさか、よりによってこんな出自の不明な凶暴女に性的興味をお持ちか」
「出自なら明らかだろ、ミアムだ、魔法が使える」
カズマは、とんでもないと肩を震わせた。
「絶対にダメです、こんな女」
「もちろんよ、私だってお断りだわ!」
「な、なんで二人して全否定なんだ」
とにかく、とギャランは話を打ち切るようにおもむろに席を立った。
「もし向こうがお前を探してるんなら、向こうの方からやってくるだろ、ああいいさ、せいぜい、王子様を待つがいい、どうせお前は今におれがそれだと気付くんだかんな!」
「あり得無い」
「ええ、根拠無くなぜそのような仰りを」
「……すげー、むかつく」
もし当人がやってきたならおれがぶっ殺す、そう言って、ギャランは馬引け、と叫んだ。
部屋を出て行くギャランに、カズマは遠乗りでしたらお供します、と宣言してすぐに席を立った。
「ああ、ギャラン。さっきの石、指に嵌めちゃダメよ、抜けなくなるから。返して、危ないから」
そう言って、周子は振り返ったギャランの手許に目を落とし、その左薬指に黒く光る指輪を見た。
一瞬、部屋の空気が冷えた。
「もう嵌めた後だぞ」
ギャランが真顔で言う。
「……普通、指輪を見たら指に嵌めてみるだろう……お前はなぜそんな大変なことを後で言うんだ」
ギャランは指輪を引っ張ったり、左手をぶんぶんと振ったりした。
「王、抜けないのですか?」
「……本当にぬけないな」
「呪いの指輪だからね」
カズマは周子を睨んだ。
「周子、早く何とかしろ」
「しろ? えっらそーに! 他人様の指輪を勝手に嵌めるバカ国王の素行を謝れ!」
周子が一蹴。
「抜けないだけで別に何とも無いわよ、普通の人間だったら。そっちが勝手に嵌めたんでしょうが。文句を言うなら私のほうだ、五千万ゴールドの指輪だ、いっそ払え」
「しかたないな」
ギャランはため息をつきながら、だがあっさりと承諾した。
カズマを見る。
「カズマ」
「………」
嫌な予感がする、とでも言いたげにカズマはメガネのツルに少し触れた。
「五千万ゴールドだとよ」
やや間があって。
「………払えと?……馬鹿馬鹿しい、誰が呪いの指輪にそんな大金」
「ロレンスは払うと言ったらしいぞ、おれはロレンスには負けん」
「は?」
「お前はそのロレンスとか言う黒髪のわけの分からん男が払える額が、おれには払えぬとでも言うのか」
「…………………」
カズマは明らかにムッとしたようだった。
改めて椅子を引き、席につくと。
カズマは黙って懐から手帳のようなものを取り出した。
書き込んで、ちぎって。無表情で目の前に座っている周子にその紙切れを押し付ける。
記されたその額面に、周子は思いっきり椅子ごと体を引いた。
―――! この男は。
大人しく金を出すから、怖い。拒めよ!
「っていうか、金払えってのはただの冗談」
「存じてます」
小切手を押し戻した周子に、
「ですが、ロレンスに払える額が私に払えぬと言われては黙ってはおれません」
メガネのレンズが反射して表情が見えぬが、声は、ぞっとするほど冷えている。
「では、この小切手を……銀行に持っていけば、即日あなたの口座に振り込まれますから」
「口座、なにそれ」
「そうか、口座は持てないのですよね」
カズマは低く唸るように小さく咳払いをした。その咳払いに、どこかさげすむような色が滲んでいるのを感じて。
「持てない、んじゃなくて、持っていない、だ。なんか知らんけどすっごい失礼な気がするよその言い方。口座とやらは金持ちしか持てないとか言いたそうだなメガネ!」
「ふむ。そう言い返すあたり、やはり頭は良いようですね」
感心したようにカズマは頷いて。
神経質そうな指先がすばやく動き、摘んだ小切手を破り捨て、床に払う。
それから、懐からサイフを取り出すと紙幣を取り出し、周子に渡した。
千ゴールドと印刷された紙幣が5枚。
「五千ゴールド?」
「十分でしょう」
「……って、万分の一じゃん!」
思わず周子は飛び上がった。
「いきなり値切ったな、この男、すごい愛想もなしで! ああ驚いた!」
カズマは愛想ですか、と真顔で、それから、にっこり、と微笑んだ。
「周子、あまり大金を持ち歩いては身の危険にさらされますから、この程度が無難です」
にーっこりと、親切そうに微笑んで、周子の手の中に五千ゴールドを握らせる。
―――な、なんかいいように言いくるめられているような気がする……
「カズマ、違うだろ」
そ、そうよ、なんかいろいろと違うよ、と言いかけた周子の胸元に、ギャランはカズマから取り上げた札束をねじ込んだ。
「女に金を渡すときはこう……げふうっ!」
「どんな女にだ!」
鳩尾に周子の膝を喰らって、ギャランは身体を二つに折って床に落ちた。