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タトゥー・オブ・ギャラン

[tog]008:その腕の名の主

 結局、反対するカズマをギャランが押し切った形で、周子は別の屋敷へと連れてゆかれた。
 そこは周子が爆炎で吹き飛ばした前の屋敷よりもいっそう豪勢な造りの建屋だった。
 立派な屋敷と上等の設え、手入れの行き届いた広い庭の様子を見て、改めて周子は、このメガネの男が金持ちというのは確かに本当の話なのらしい、と思ったのだが。

「カズマ・フォン・グランツ……世界のお財布、大財閥グランツ家の御曹司、ねぇ……でもグランツ家なんて聞いたことない。それほどの財力の主ならば、私、知ってておかしくないのになァ?」

「では、世間知らず、という言葉を差し上げましょうか」

 いちいちトゲのある冷たいカズマの言い草に、本当にコイツは私が邪魔なのらしいな、と周子は思った。
 冷茶を運んできた仏頂面のスキンヘッドが、カズマの耳に何か囁き、すぐにカズマは顔色を変えた。

「は? この女の様子を見ていろと命じたのは王ではないか!」

 ちょうどそのとき、廊下の向こうからドカドカと靴音がし、ギャランが姿をあらわした。
 羊皮紙を巻いたものを手にしたギャランは、しとどに汗をかいている。

「ギャラン様、王宮に戻られるのでしたら、なぜ一言声をかけて下さらなかったのです! お供しましたのに!」

「やだね。お前連れてったらあっちこっち連れまわされて新国王様のお出ましダー、ヒカエロー、になるだろ」

 腰を浮かせたカズマの頭をぐい、と押してソファに座らせる。

「おれは王なんざ真っ平ごめんだ。わざわざ臣下の者どもに拝ませてやる面もねぇ……っつーか、なああんで、二人して仲良く茶ぁ飲んでんだ!」

 カズマと周子がソファで冷茶を飲みながらくつろいでいるの見て、みるみるうちに機嫌が悪くなる。

「おれは周子が逃げぬよう見張れとは言ったが、親しげに茶をすすってろとは言って無ぇ」

「私たち、ちっとも仲良くはありませんが?」
 はて、と首を捻るカズマに、
「ええちっとも」
 周子もこっくりと頷いて同意して。

「依然として、険悪な関係ですが? なにか?」

「――ッ! 仲良さげに見える! ものっすっごっく仲良さげに見えるんだが!! おれが我慢に我慢を重ねてわざわざ王宮へ出向いたってぇのに、なに勝手に親しくなってやがる!」

「あんたの都合なんて知らないわよ、ばーっか」
「口を慎みなさい、周子」
「私には、オレサマハコクオウダー! って自分でえばってたくせに? 王だとか王でないとか、そもそもなんでそんなに王様が嫌だってのよ? 」
「嫌なもんは嫌だからだ!」

 大体だな、とギャランは大きく舌打ちをした。

「王宮なんてありゃー、ぜってーおかしいぞ!? このおれを、王だというのだぞ? たかが前王陛下の血を引いているというだけで、だぞ! こぞっておれにぞろぞろ付いて来て、口を開けば王は聡明ですと、称えまくるんだぞ、あれの何処が、まともなのだ? おれが頭が悪いというのは、よそから来たこの周子だって、初対面でずばり見抜いたんだぞ! 臣下の者共が気づかぬわけが無かろうが! このおれの一体何処が王だというのだ!」

 ギャランは一気に文句を並べ立てると、どかっと周子のすぐ隣に腰をおろした。

「ははん! バカだといわれて納得してる人を初めて見たわ! 国王が嫌だなんて、モラトリアム? うわーだっさー」

 その言葉に、ギャランが大きく目を見開いて固まった。

「なんで持ち上げられるのがイヤか、答えは簡単!」

 周子はギャランのその端正な顔立ちをびしっと指した。

「それに見合う実力がないから!」
 凍るような沈黙。

「周子!」

 数拍間、たっぷりと間を置いてから、我に返ったカズマが短く叫んだ。
 にやり笑っている周子の肩をわしづかんだが。

 が、当のギャランは、
「モラトリアム、ってなんだっけかな」
 周子の肩からカズマの手を外すと、これに勝手に触るな、とだけ言った。

 カズマは数瞬間、あり得ない、といった表情でギャランを見つめたが、すぐに視線を逸らせると、周子をきつく睨んだ。
 茶を出して文句を言われるのであればいっそ地下牢にでも放り込んでおけばよかったですね、と呟いたカズマの表情は、今すぐにでも周子を地下牢に放り込みそうだった。

「ああそうか、今日は一日見かけなかったけど、出かけてたんだ?」

 ギャランの額からは汗が滲み、金髪も首筋もびっしょりと濡れている、どうやら単身で王宮まで馬を駆って来たようだった。
 ギャランは、疲れたように首をグリグリと回して、

「茶。王宮から遠い分にはおれはウェルカムだがな、それにしてもえらく遠かったな、さすがにくたくただぞ。ま、おれは周子マイラブのためにがんばった」

「は?」

 思わず周子もカズマも眉を顰めた。

「周子。一日おれの姿がなくて、今更気付いたのか。淋しくなかったのか」
「無いよ全然」

 ギャランはたちまちがっかりした表情になったが、手にした羊皮紙を周子に渡すと、みろ、と催促した。
 どうやら、嫌いだと公言する王宮までわざわざ出向いたのは、これを取りに行くためだったらしい。

「あ……」
 ギャランに渡された羊皮紙をといて周子は小さく驚きの声を上げた。

 それは、肖像画とまではいかないが、緻密に描かれた、人物画だった。

 つややかで長く、まっすぐな黒髪。
 何処か世俗を超越したような、血の気を感じさせない白皙の頬。
 軽く引いた形の良い唇には何の感情も含まず、ただ冷たく陰鬱な、それでいてこちらをからかうような、何処か挑戦的な、色気のある黒い瞳ばかりがひどく印象的である。

「王宮で、おれは以前にこの絵を見た、そしてお前を見た瞬間、ああお前だと思った」
 ギャランは大真面目な表情で一度腕組みをし、だがしかし、と唸った。

「髪と目の色はおんなじだが。こうして改めて見ると、こっちの画の方がずっと年上に見えるし、お前はどう見ても感情的で勝気だ、こんな冷たい無表情はしないだろうしな。大人顔なぶん、余計に端正にも妖艶にも見える……ああ、若返りの魔法か何かか!」

「この画を見て私だと思ったと。単に黒目黒髪だからって一緒くたにすんな。よっく見ろ」

 大体、下に名前が書いてあるでしょうに、と呟いた周子に。

「字ィ? ああホントだ。シュウ……シュウゾウ? 修三、かよ。あれ? ああ、まあ、シュウゾウもシュウコも、まあ大して違いはないがな?」

「違うわよ! 大違い! ……周子だなんて、ひょっとしてあてずっぽうだったわけね。適当に呼ばれた名がビンゴするなんて! しかも、私の名を言い当てたあのタイミングで名乗るなんて。なんて災難な!」

「さすがあれだ、運命の相手ってのは見りゃ分かるってやつだ」

 短く叫んだカズマの制止より先に、周子の手の平がギャランの鼻つらにヒットした。

「その画の主は父さんよ。私の、血のつながった実の父。ミアムには、とても魔力の強い、タチバナの血、っていう黒目黒髪の万世一系の家系がある、父はその中でも稀代の魔法使いと言われた腕利きよ。それに、腕に名前が無い。未隷属の、この世で最も自由で崇高な魂、ミアムの中で最も強く、誰にも隷属しない、まさに名実ともにいい男よ、あんた如きが興味を持っていい格ではないわ……」

 ふと、周子は言葉を切った。
 その表情がみるみるうちに曇った。

「……それが、それが、修三だなんて、名前が入った絵があるってどういうこと」

 取り乱すように縋りついた周子に、ギャランは面白くねぇ、と唸った。

「ではおれとその父親と、どっちがいい男だ」
「私は父さんがどうしたのかって聞いてるのよ!」

 答えろ、とキッパリと一言、厳しくギャランに命じられて周子は歯軋りをした。

「父さんは頭も良いし、優しいし、ムダ口もきかない。あんないい男、どう考えてみても今まで見たことが無い、たぶんこの先も。たっはー、間抜けにも鼻血たらして、それのドコが、一体なにがイイ男よ。比べるほうが間違ってる」

「鼻血はおめぇの所為だろ! おれの鼻を打ちやがって」

 カズマに差し出されたハンカチで鼻を押さえ、滴る鼻血を拭いながら、ギャランが言い返したが、周子にはギャランの様子などどうでもよいらしかった。

「父さんが真の名を明かすなんてあり得無い。名前入りの画があるとは一体どういうこと……」

 周子は羊皮紙を掻き抱くと、みるみるうちにひどく取り乱して。すぐにミアムに帰らなくちゃ、とソファから立ち上がりかける。帰るな、とギャランがその手を強く引いた。

「離してよ、ギャラン」

 興味深げにカズマが小さく鼻を鳴らした。

「王、外見には絶対の自信をお持ちのあなたを、こうも袖にする女がいるとは驚きですね。王が側に置くと仰っているのに、まるで無視ですか。このパターンは初めて」

「るせ! 傷口に塩をすり込むようなこと、言うな! 周子にキライだと言われるとなんだかえらく傷つく気がするぞ!」

「……まあ、こうもストレートに無礼な口を利く人間は私も初めて見ました」

 ギャランの言葉に、カズマは苦笑して。

「はは。この下賎の女、こんな調子で一体いつまで命があるものかな」
「! だっから、こいつに手を出すなっつってんだろが。カズマ」

 たちまち物騒な微笑を浮かべたカズマにクギを刺すと、カズマは苦々しい表情になった。

「王、なにやら非常に、かつてないほどの拘泥ぶりを感じますが。万事に鷹揚なあなたが、こんなに執着するとは大変に珍しいことです。こんな無礼な女の一体何処をお気に召したと。いくらなんでもお戯れが過ぎます。なぜこの女にそれほどに構うのです」

「なんでって……」

 ギャランは上手く言葉が見つからないのか、答えあぐねて沈黙した。

 なにが外見に自信よ、と周子が口を尖らせた。

「そんな派手なド金髪のどこが? 父さんの方がよっぽど、よーっぽどいい男だわよ」

 ギャランが金髪をざばりと逆立てた。
「おま、おまおまえ、自分の父親ほめてっとろくな恋愛できねぇぞ!」
「結構」
 目を伏せて腕組みをし婉然と微笑む。

「私、父さんよりいい男って見たことないもの」

 そんな周子にギャランは、すげえあったまくんなー、とこぶしを虚しくにぎにぎさせながらひとしきりぶつぶつと文句を言って。
 それからふと、首をひねった。

「それにしちゃお前、さっきから、帰る帰るって言ってる割には帰らねぇな?」
「!!」

 たちまち顔色を失った周子に、くっ、と失笑したカズマ。
 やはりね、と一人頷いて。

「あなたは王の命令に過敏なようだが?」

 そう言って周子を見た。
「逃げられないのでしょう」

 竦むように呼吸を止めた周子の気配に、確信を得た、といった表情でカズマはひとつ頷くとギャランを見た。

「この女の腕に刻まれたあなたの名といい、言い当てられた己の名に非常に拘泥している様子といい、つまり察するに、一族の掟か何か、何らかの理由で、名を言い当てられると、その者を主として腕に名を刻み、隷属するということではないでしょうか?」

 カズマは、明言した。
「あなたの命令を警戒し、むしろ怯えている、つまりはあなたの命令には明らかな効力があるということです」

 びゅっ! と応接テーブルの上のグラスがカズマ目掛けて飛んだ。
 冷茶をざんぶりと頭からかぶったものの、カズマは冷静に頷いた。

「ほう、図星だったようです」
 冷たい眼差しが周子を値踏みする。
「呪文のように、言霊を操る能力をもつ種族は、名を呪(しゅ)のキーにすると聞いたことがあります」
「このっ……!」

 カズマに勢い良く飛び掛り、馬乗りになって首を締め上げようとした周子を、ギャランが取り押さえた。

 落ち着け、とでも言わんばかりに、その身体を後ろからぎゅっと強く抱きしめられ。
 強く確かなその感触に周子はどきりとし。
 唐突に甘く切ない痛みが、背筋を貫き火花のように全身を駆け巡った。

「図星なのか?」
 ぷい、と顔を背ける周子の頤に手を掛け、ギャランは自分のほうを向かせた。

「その傷は、つまりはその腕の名の主、おれの命令なら、何でも聞くってことか?」

 周子はまっすぐに覗き込んでくるギャランの強い青い瞳から目を背け、沈黙した。

「答えろ」
 ギャランの命令に呼応する呪の反応、左二の腕にずきりと熱い痛みが走るのを、この男当人を前にしては、周子はどうしても認めたくはなかった。

「答えろ、と言っている」
「いやっ! 私は死ぬわよ」

 えっ、とギャランが息を飲んだ。

「カズマ。呪ってのは、命令に抗えば死ぬのか」
「さぁ。ですが、あんな凄まじい魔法を使える魔法使いが脅える命令であると考えれば、そう推察できなくもないですね、どんどん顔色が悪く、呼吸が荒くなっていくようです」
「…………」
「おい! しっかりしろって! こ、答えなくていいから!」

 慌ててがくがくと揺するギャランの腕を離れ、どさりとソファに横になる周子を見て、ギャランはぶるりと身を震わせた。かろうじてその息があるのを確認して。

「隷属のタトゥーだと? おれはそんなもの望んだ覚えはないぞ?」
「そのおつもりが無くとも、刻んだのは確かにあなたのようです、ギャラン様」

 カズマは冷静に頷いた。
「召喚されればどのような望みも叶えるというミアムの召喚の種、それも、私の屋敷を一瞬で吹き飛ばすほどの強大な魔法を使うことができるとは。便利ではないですか」

 おれは昨日から今まで、周子に何を言ってきた? とギャランは口許を押さえた。

「こんな……やな気持ちは初めてだぞ、カズマ」

 ギャランが怯えた声を出した。
「おれの不用意な命令一つで、こいつは死ぬんだぞ」
「そうですね」
 ゆっくりとうなずいたメガネが、計算高くきらりと光った。

「……では、お言葉を、口に出す前に、一度吟味することをお心がけになってはいかがでしょうか。そもそも、王は率直過ぎるほど率直ににものをおっしゃるご性格でございますゆえ。思慮深い御言葉を述べられますこと、それは王として、私はじめとする多くの臣下が何よりもまず最初に、ギャラン様に望むことでございます」

 攣れるような気配が走った。

「だっから! おれは王ナンザごめんだ!」

 ギャランはおもむろに羊皮紙を床に破り捨てると、ランプの火種をその上に放った。
 パッと炎が揺らめいて羊皮紙を舐めていく。
 燃え滓を足で踏み砕くと、派手に焦げた絨毯をがつりと一度蹴って、苛立たしげに部屋を出て行った。

「珍しく、本気で怒りましたね。怒りも程度が過ぎると、あの方は黙ってぷい、といなくなってしまうんですよ」

 スキンヘッドの侍従長からタオルを受け取って、濡れた髪を拭きながら、カズマはやれやれと笑った。
 その口元はたくらみの色を存分に含んでいる。

「どういうわけか、あなたを失うのがよほど嫌なようです。周子、ここはひとつ、私に力を貸していただくことにしましょう。ひょっとすると、あなたを使えば、王は動くかも知れない」

 カズマは静かに微笑んだ。

「どんな手段であれ、あの方をこの国の王としてふさわしい姿に仕立て上げること、それが私の為すべき仕事でしてね」
「嫌」

 周子がソファの上に倒れたまま掠れた声でそう言うと、カズマはふん、とあざ笑うかのような相槌を返した。

「悪いようにはしませんよ? こちらでの生活は私が保証します。あなたが私の側につくのなら、どんな贅沢もお望みのままに叶えましょう。天下のグランツ家による身分保証がどれほどに有用なものか、きっとすぐにご満足いただける筈だ。我がグランツ家の名において、財力権力のすべてをお望みのままに行使いたしましょう、これほど好条件の取引はまたとないはずです」

 周子はがばっと身を起こした。

「だから、いやだ、って言ってんのよ! あんた、ばっかじゃないの! あの男が王になんかなりたくないって言ってるのが聞こえてないの? あんたさ、自分の大事な相手の嫌がることして楽しいの? とんだ変態野郎だなっ!」

 唐突にものすごい勢いで切ったその啖呵に、驚いたのはカズマばかりではない。
 カズマの側に控えて立っていたスキンヘッドの侍従長、日頃は仏頂面を貫いて表情を変えぬこの男もまた、このときばかりは心底驚いたように両目を見開き周子を見つめた。

「大体、あの男は、他人を使ってどうこう手を回す、そういう回りくどいことが嫌いだわよ! もしも、もしも本人が納得してその気になれば、あっさり国王にだって、神にだってなるような男よ! 私が頼んだって嫌なものは嫌、そういう男よ。誰がお前になぞ協力するものか!」

 周子はソファから立ち上がると、カズマのグラスを取り上げ、拭いたばかりのその頭にぶちまけた。ギャランが口をつけていたグラスもついでに頭にぶちまける。

 ずぶ濡れの執念深そうな紫の瞳が、ひたと周子を見据えた。

「ミアムには帰しませんよ。あなたが存外使えると知ったんだ」

「あんたの命令なんか、ちっとも効かないわ」

 そしてびったん! と強烈な平手を一発かまし……周子は部屋を出て行った。
[tog]008:その腕の名の主
Created: 2005-06-30 Modified: 2010-05-16

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