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タトゥー・オブ・ギャラン

[tog]007:肉の一つ

 先ず最初に、きらりと光るメガネが目に入った。

 カズマが、ためすがめつ自分の顔を覗き込んでいる。目が合った、と思うなり、その顔は慌てたように素早く引っ込んだ。

 身を起こすなり周子は、すぐ側にスキンヘッドの中年男が立っているのを見。
 死人を前に、今にも葬儀を執り行おうとでもしそうな面持ちで立っているこの男、スキンヘッドと言えばまあ良いようにも聞こえなくは無いが、要は丸坊主であって……

 やはり、坊さんにしか見えない。

「まだ死んでませんが」

 憮然と抗議した周子、途端にギャランが爆笑した。

「坊さんじゃなくて侍従長だ」
 そう言ってギャランはまたげらげらと笑う。

 唐突に現実感が湧いてきた。

 ギャランがしきりにハゲハゲと連発していたのはこの男の頭の所為か、とようやく周子は理解した。

「じゃ、あれだ、ここは寺院かなにかなん……」

 いや、僧侶にしてはこの男の私への扱いは乱暴だった、と周子は思った。頑強そうなこの体つきは僧侶というより武人のそれだ、何より、女を窓から突き落とすなんて……

 カズマが神経質そうに一度己の襟許を引いて、周子に言った。

「ここは私の屋敷です。グランツ家のね。寺院ではないし、彼はこの屋敷の侍従長です」
「へぇ! 女を窓から突き落とすだなんて、素敵な侍従長のいるお屋敷だこと!」

 スキンヘッドの侍従長は、周子の皮肉にも、いっそう大きくなったギャランの爆笑にも、全く表情一つ変えずに仏頂面で突っ立っている。
 屋敷を、家内を預かる立場には沈黙が何よりの策であることをよく知り尽くした、いわば熟練の従者であるかの様子にも見えた。

「ええ。素敵な屋敷ではありました、過去形で」

 カズマの棘のある返答に、さすがに周子は数秒押し黙った。

「ずいぶんと、その……」

 天を仰いで。
 あるはずの屋敷の天井はなく、夏の強い陽射しが照りつけている。
 周子の放った最上級の攻撃呪文、その強大な破壊力と爆風で以って屋敷は見事に吹き飛んだのだ。
 瓦解した屋敷の名残と言えば、足下にわずかに残された大理石の床くらいなもので、屋根も壁も柱もすべて、瓦礫の山と化し。
 建物の周囲の木々をも派手に巻き込んだのであろう、爆炎に葉を焼かれた丸坊主の煤けた木々があたり一面に倒潰している。庭も壊滅的だ。

「……やっちゃったわね」

 そう呟いて周子は小さく吐息を吐くと、カズマを見上げた。

「頭に血が上っちゃって……その。ごめんなさい」
「え?」
 周子が素直に謝ったのが意外だったのか、数拍間を空けた後、カズマは、ああ大丈夫ですよ、と笑顔で返した。

「保険かけてありますから」
「そうだぞ、いまこいつはすんげー機嫌良いぞ!」
 な! とカズマの肩に手を置くギャランこそ、ものすごく上機嫌だ。

「お前、おれを知らんのなら、こいつのことも知らんのだろうな? カズマ・フォン・グランツ、ガーナで最も有力な大財閥の御曹司だ。こんな屋敷のひとつやふたつ、吹っ飛んだくらいで痛くも痒くもない」

「はは。私の所有する屋敷のうち、ギャラン様がよく御立寄りになられるこちらの屋敷の保険をもっと良いものに掛け替えたばかりでして。存外早く恩恵を蒙りました、そこいらの投資よりもはるかにリターンが良い」

 ―――屋敷を壊されて喜ぶ人間って……保険金でいくら返ってくるかって利回りを考えるのっておかしくないか?……っていうより、ギャランが自分の屋敷を壊すと思っているってのもおかしくないか?

「ああ、その傷、痛みますよね?」

 カズマは念を押すようにそう言うと、メガネの奥で冷たく目を細めた。

「剣を下げていなくて幸いでしたね。さもなければ、命は無かったでしょうから。首を折るにはあと一足歩、距離が足りませんでしたしね」

 その程度で済んでよかったです、とにっこりと微笑んだ。

 ―――こ、この男……

「おい!」

 睨み合いかけた周子とカズマの間にギャランが割って入った。

「あれほど言ったろう、コレに手を出すな」
「押さえは必要ですよ」
 返すカズマの声は冷たく、不服そうだ。

 まぁ、ともかく、とカズマは言った。

「屋敷を移りますよ。さすがにここはもう使えません。全壊しましたからね。王宮からは少しばかり遠くなってしまいますが、まあ仕方ないでしょう」
「ふん、王宮から遠くなる分にはおれはぜんぜんかまわんぞ? ンナとこ、絶対に住むつもりはねぇからな!」

 カズマはギャランの言葉を無視するように、目をかすかに引き細めた。
 そしてふと思い出したように、一礼して下がりかけた侍従長を慌てて呼び止める。

「ほ、保険を。別邸にもすぐに保険を掛けなおしておくように」
「……手配済みでございます」

 仏頂面のスキンヘッドの侍従長が表情一つ変えずに返すその言葉に、カズマはほっとひと息ついた。
 それから、周子を睨んだ。

「あなたとは、ここでお別れです。私のほうは保険がききますし、当家屋の全壊等、あなたより蒙った一切の損害は不問にしましょう、ですから、」

「成る程。どんな縁であろうと持ちたくは無い、という主旨がよく伝わる言い様だわ」
 周子の失笑。

「何か、希望は?」
 カズマの表情は冷たいままだ。

「馬と金を貸して。ミアムへ帰るから。後日相応の手段で以って返却する」
「承知しました。断る理由も無い」

 きっぱりと頷いて、カズマは言った。

「では、馬と金銭を差し上げましょう。返す必要もありません。ここでの出来事については決して他言しないように」

 成る程、このメガネ男、ギャランよりもはるかに話が早い、と周子は思った。
 己の望む事態を得られるのならば金の量の多少については厭わない性質なのだろう。
 徹底的に、金輪際、互いにどんなささいな縁も持ちたくない、関わり合いたくない、という潔癖な拒否の姿勢がよく伝わった。

「お前、周子を放り出す気だな」

「王にお食事を」
 従者も衛兵もカズマの指示で動く。
 屋敷を管轄下に置いているのは、カズマだということは理解できるが。

 ―――確かに、先に手を出したのは私だけれど。このメガネは、見た目にも小柄で華奢な、女の私の頬をこぶしで容赦なく殴り飛ばすのだ。いや、殺す事だって、ためらわずに出来るだろう。よほど、この金髪碧眼を大切にしているに違いない。なんなのこの関係?

「おれは承知しないぞ」
「しかし。彼女はそれを望んでいます。彼女の要求を私は拒否する理由がございません。馬と金、ただそれだけを要求し、あまつさえ、後ほど返却するとまで言っています。意外と謙虚なので驚いているくらいです」

 そう言って、ふっ、とカズマは冷笑した。

「当人の望みどおり、さっさと逃がしてやれば良いではないですか。どこに帰ろうと、私は一切の干渉をする気はありませんよ。野垂れ死にしたって私の関知するところではありません」

 ギャランは明らかにムッとした表情になったが、運ばれてきた食事のほうを優先することにしたようだった。
 足下の瓦礫をぞんざいに払うと、床にどっかと座って。

「来い、周子。飯にしよう。食わんと血が足りぬままだぞ」

 唐突に発せられたギャランの命令に反応した左腕の痛みを感じて。

 ―――なんとかしないと。

「そうね、それ賛成」

 周子は短くそう応えてギャランの隣に座った。
 青い瞳がちょっと意外そうにこちらを見つめてくる。そしてにこっと笑って。屈託のない笑みだった。

「初めて意見が合ったな」
「……馴れ馴れしい」

 ―――タトゥーに騙されてたまるものか

 ふん、と鼻を鳴らして周子は顔を背けた。そして、目の前に運ばれてきた食事に手をつけるなり、

「……っ!」
 眉根を寄せた。
「……いひゃい」
 痛いやら沁みるやらで、殴られた所為で口の中が切れているのが分かった、たちまち涙が目の端に滲んできた。

 ギャランに睨まれ、まあたしかに、とカズマは口の端を下げると、控えているスキンヘッドの侍従長を呼んだ。
「粥かなにかを……」
「へぇ! このごっつい肉の塊はあんた流の嫌がらせかと思ったけどね!」

 フォークに突き刺した肉の塊を向けると、面白いほどはっきりとカズマは表情を険しくした。

「大体、あんたが私を殴ったんだったわね」
「こっちは殺されかけてますが」

 あら、と周子は小馬鹿にした笑みを浮かべた。

「だからなに? 死んでないからいいじゃない、そもそもこっちは殺す気なんてなかったんだし」
「死んでないからいいじゃない? ものすごい開き直り様ですね」
「大体、どっからどう見ても体格の劣る、こんなか弱い女相手に全力パンチ繰り出すなんて、アッタマおかしいんじゃないの?」

 カズマは一度、そのメガネの奥の紫瞳を丸くした。

「ははあ、あなたはそのぱっと見小柄で華奢な外見を分かって利用しているのか。余計に始末が悪いですね。なんと物騒な女だ、あなたがか弱いなど、もはやこの屋敷の者は誰一人として思いませんよ。私の屋敷を木端微塵に吹き飛ばしておいて、か弱いなどと、よくもまあそんな台詞が吐けるものですね」

「か弱くなけりゃぁ女でも何でも殴っていいのね?」
「当然でしょう、こっちは殺されかけてるんですよ」

 互いの沈黙に殺気が混じった。

「……ほんと、あんただけはキッチリ殺しとけば良かったわ」

 周子は、肉を突き刺したフォークをトレイに置いた。
 カズマも、水を一口含んで唇を湿らせると、手にしていたグラスを置いた。

「やりますか」

 カズマの冷ややかな眼差しに、挑戦的な瞳で周子が返す。

 ギャランがあきれたような声を出した。

「肉の一つで喧嘩すんなよ?」
「ニクノヒトツっ!?」

 素っ頓狂な声を周子が上げた。

 しみじみ嫌そうに、周子は目を半開きにしてギャランを見て。

「ほんとうに、ばかなんじゃない?」
「あなたはよほど早死したいらしい。主人を侮辱されてもはや黙ってはおれませんね」

 立て、周子、と言ったカズマに、

「主人? これが? 逆でしょ? 実はあんたがこれの主人なんじゃないの?」

 思わず人差し指で隣のギャランを指した。
 無礼な、と呟くカズマ。

「彼はこの国の国王です。それは既にご存知の筈ですが」

「国王、ってのは嘘じゃないんだ……あきれた」

「……ですから、彼に仇為す者には私、容赦しませんので。王を半殺しにした挙句、王を蹴り上げるなぞ、命があるほうが珍しいくらいです。どういうわけか、王がやけにあなたにこだわるので、これでもずいぶん手加減をしたんですよ。感謝されこそすれ、恨まれる覚えは毛ほどもないですね」

「感謝?」

「いい加減座って黙って飯を食え、周子もカズマも」
 横から声を掛けられて。
 美味いぞ、と続いたギャランのその言葉に、妙に脱力するのを感じた。

「……なんか、急にあほらしくなったわ」
 周子は大人しく座ると、カズマを見上げた。

「じゃ、お粥を頂戴?」

 ビックリしたようにカズマは紫の瞳をまん丸に見開いて、再度周子を見た。

「……。ず、図々しい女だな」

[tog]007:肉の一つ
Created: 2005-06-30 Modified: 2010-05-16

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