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タトゥー・オブ・ギャラン

[tog]004:隷属のタトゥー

 ―――雀を仕留めた猫のように。
 何も真っ先にこのメガネ男の許へ連れてこなくともいいのに。

 まだ飛びまわれる雀を、ぽてっ、と飼い主の目の前に落とす。
 まるで見せびらかすかのように。
 気を許せば飛び立つのに。あえて、放して。
 そして、
 身動きしようものなら、優しくその上に、手を、置く。
 爪はなくとも、容赦の無い、尊大さで。


「カズマ、おれの人生まんざら捨てたもんじゃあァないそうだ!」

 周子の手をぐいぐいと強く引いて書斎と思しき部屋に入るなり、ギャランは、そこにいた緑髪のメガネの男に向かって笑って言った。見せびらかすような意気揚々とした態度で、自慢げに周子を突き出した。

「すっげ美人だろ!」

 針の先っちょで突付いたようなお前の極小ストライクゾーンもこれならど真ん中だ! と叫んだギャランは実に上機嫌だ。

 軽く腰に手をあてふんぞり返った長身は堂々としていて、額にこぼれかかる輝く見事な金髪はあでやか、そのクリアな青い瞳は存分に得意げである。

 ギャランを見上げ、周子は自分の視線が、その青い瞳には全く届かぬことに絶望する。

 ―――この男は、目の前のメガネ男の関心を引くのに夢中だ、

 左腕の痛みが少しはどうにか紛れないものかと、周子はこぶしを握ってみた。
 少し腕を動かすと、腕に巻かれた、すでに存分に血を吸ったシャツが微かに血を吐いた。
 二の腕から手首の方へと、白肌を血が伝って滴り落ちてゆく。

 左腕から痺れるような熱い痛みが走って背筋を貫く。
 肉を裂かれた傷そのものよりも、胸のほうが痛くて。
 周子は、ギャランの立派な肩を見上げた。

 ―――この男はタトゥーの呪を知らない。

 純然たる恐怖だった。

「若、只今所用より戻りました」

 低く落ち着いた男の声、次いで後方でガチャリとドアが開く音がした。
 その一瞬の隙を突いて、周子は床を蹴ると、メガネの男の横を走り抜け、走り抜けざまに掴んだデスクの上の花瓶を窓ガラスに投げつけ、割った。
 高く鋭い破砕音と飛び散るガラス片、その窓枠に足を掛け、周子は大きく身を乗り出す。

 一拍遅れて、慌てたギャランの気配が、

「ちょっ、待てや、ハゲっ!」

 ―――ハゲ?

 予想外の怒声に周子は思わず、窓枠に足を掛け飛び降りるべく強く撓めていた背を伸ばした。
 その瞬間、頬のすぐ横を鋭利な冷気が掠めた。
 窓の外に向かってキラリと消失した、直線に近いその投射軌跡は、短剣の白刃だった。

 ギャランの妙な怒声に気を引かれた一瞬の躊躇がなければ、首に刺さっていてもおかしくないその角度と勢い。
 唐突に己へと向けられた明確な殺意を知って、周子は背筋に冷たいものが落ちるのと同時に、カッと頭に血が上るのを感じた。

 振り返り様、なにか頑強なものが突進してくるのを見た、と思うなり、体当たりされた強い衝撃、次いで、窓枠に掛けた手と足の両方が外れたのを周子は悟った。

 ―――う、わっ、落ちる、

 視界が転回する。

「エンヴィ!」

 制止の色濃い、高い声が一声、叫んだのが聞こえた。

 体当たりで窓の外に突き落とされ、受身の取れぬまま二階の高さから落下する独特の感覚……。

 息を詰めたその瞬間に、窓際に駆け寄ったメガネのグラスが光を弾いたのを見……背中を強く打ち付ける強烈な衝撃と痛みに、緩慢にして異様な、落下独特の感覚はここで不意に断たれた。

 ―――ちっくしょ、体が重い。

 背骨に喰らった強い痛みで、一瞬、視界が白くなったその衝撃から意識を奪い返し、周子は毒づいた。

 本当に、まるで羽根でももがれたかのように身体が重い。
 体力も素早さも、著しく低下している、なのに、体がいつものとおりに動こうとして反応する……思うように制御のきかぬ身体を持て余し、まるで、地に落ちた雀のようにじたばた足掻いている気分だった。

 窓から落ちたのは自分ばかりではなかったらしい。
「―――ッ!」
 周子は、立ち上がりかけた足下を払われる形で、再び地に身体を打ち付けた。

 咄嗟に顔を向けたその瞬間に見たのは、背も幅も周子の倍はありそうな屈強な体格の男だった。
 この男が体当たりしたまま窓の外へと、一緒に落ちたのだ。

「っ!」

 髪を掴まれ頭を地に擦りつけられるなり、頚椎の折れるのを厭わぬほどの強引さで両肩を捻られ強く組み敷かれた、そして、殺意ある眼差しを見た。

「貴様、なぜこんなところに、」

 ―――落ちた

 男が呑んだその言葉、声にならぬその問いを確かに耳にした、と思った。

 頭を押さえつけている男の指が周子の黒髪をひと房掴み、何かを確かめるかのように指の腹で擦った。
 しゃり、とその指先で己の髪が軋む音を周子は聞いて。

 ―――落ちた……?

 唐突な違和感に目を丸くした周子。
 だが組み敷いた男は問いの答えを待つ気配なく、そして逃げ出す隙を一切与えず、周子の両肩を羽交い絞めにすると、引きずるようにして強引に立たせた。

「あぁあッ!」

 腕を強く引き絞られ、たちまち左腕の激痛に周子は悲鳴を上げた。

 ぬるっとした血の感触を指に知ったか、まさか、といった表情で男は周子の左腕に巻いた布きれに手を掛け……傷を見るなり、はっと息を飲む気配があった。

 その時、後方でガッツ、と地を抉る重い音が響いた。

「待てっつてんだろ、ハゲ!」

 苛立ちの露わなその声はギャランの声だ。

 玄関から外へと回る時間は無かったはずだ、ともすれば、窓から飛び降りてきたか、と周子は拘束されたまま冷静にギャランの所作を量った。

「これに何か用があったのか?」

 ギャランの問いに、周子をきつく羽交い絞めにしている男の殺気が不意に失せた、否、隠れた。

 はは、と吐息混じりに頷くその気配。
 太く低いその声で、どうやら年配の男らしい、と周子は思った。

「……かように怪しき者を邸内に入れるわけには参りませぬゆえ」

 その言葉に、ギャランはカズマ、と一言、ちょうどそのとき建物の横手から、周子の落ちた窓下へと回ってきた男を短く呼ばって、顎をしゃくった。

 カズマと呼ばれた緑髪のメガネの男は、窓から飛び降りてきたギャランとは違い、建屋から玄関を回って出てきたらしい。

 仕立ての上等な白いドレスシャツを身に付けた、品格ある身分の高そうな身なりと雰囲気。また同時に、線の細い、神経質そうな印象に見えた。

 そのメガネの男が、主人然と命じた。

「手を離せ、エンヴィ」
「しかし、若」
「このようなひどい手負いで何ができるものか」

 再度、主人と思しきメガネに命ぜられ、周子を拘束した太い腕が緩んだ。

 ―――バカが

 力なく地に目線を落としていた周子はにやりと笑った。

 一瞬よろめくようにして解放された周子の、小柄で華奢な、血に塗れた身体、しなやかに傾ぐその身体、可憐なその姿……それが、その長い黒髪が。

 刹那、足下から強く巻き上がった不穏と凶悪を孕む風に、長い黒髪が一気に逆立った。

「−−―――-、」

 逆巻く魔法風の中、攻撃系最上級呪文の詠唱が……だが、素早く指先を組み合わせゆく周子の手を、力強く伸びたギャランの腕が、唐突かつ躊躇なく掴んで強引に引き寄せた。

 絶妙なタイミングだった。

 ギャランに抱きしめられて。
 囁かれた。

「止せ。お前の立場はどう贔屓目に見ても、悪い」

 虚を衝かれた周子は思わず顔を上げた。
 ギャランの意志の強そうな唇が、カズマは強い、とだけ一言、そして、顎先で軽くメガネの男を指した。

 ア然とした周子を強くその胸に掻き擁いたまま、ギャランはもう一足歩、エンヴィと呼ばれた男から距離を置いた。

 近寄るな、と言外に拒絶する明確なその距離、そして、

「二度とこれに触るな」
 去ね、と一言、ギャランはぞっとするほど凄みのある雅語で男を下がらせた。

 不承の沈黙すら許さぬ、場の凍るような強烈な拒絶、一切の抗いを許さぬ厳しい声だった。

 悪いようにはしない、とギャランの囁きが不意に耳に触れた。
 だがその瞬間、周子は強く己の両肩を掴んでいるギャランの手に、唐突に恐怖を覚えた。
 不意に爪を立てる、不躾な肉食獣のようなその仕草が、とにかく本能的に怖かった。

「ははは放して」
「暴れるな」

 ずきん、と左腕が痛む。
 ―――こんな短い、簡潔な命令にすら、こうも実直に反応するのか。

 明らかに、タトゥーの呪が発動している。
 その厳然たる事実を知って、周子は絶望に肩を震わせた。
[tog]004:隷属のタトゥー
Created: 2005-07-06 Modified: 2010-05-14

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